
った人ですから、最大規模のアートマネージャーであり、プロデューサーであったのではないかと思うんですけれども、それは余談でございます。 お手元にプロデューサーの仕事とは何かということを簡略に記した資料があろうかと思いますが、私どものコマ劇場、あるいはシアター・ドラマシティの母体であります阪急電鉄を守り育て、今の礎を築いた人物に小林一三という人がおりました。皆様もご存じかと思いますが、宝塚歌劇団という80年になんなんとする、80年を超えたエンターテインメント、世界的にも類例のない女性ばかりのレビュー集団をつくり、あるいは東宝という映画会社、演劇会社を育て、そして、その最後の仕事として東京の新宿と大阪の梅田にコマ・スタジアム、即ちコマ劇場という、三重の盆の立体演劇を志向した原初に返れ、ギリシャ演劇に返るべしということで、プロセニアムを取り払った劇場を建てました。これからの国民演劇というのは、1日来の歌舞伎のようにいわゆる地方(じかた)、生のオーケストラですけれども、そういうものを使わないで、テープで演奏をする、あるいは歌の伴奏をする、そういう演劇を非常に安い料金で見せるべし、上質な娯楽を提供すべしということを考えた人でございます。 残念ながらコマ劇場というのは、ごらんになった方もあろうかと思いますが、あれを十二分に使いこなす演出家、プロデューサー、そういうものがおりませんで、あるいはなかなか使いにくい劇場でございました。 それはともかくとして、この小林一三があるとき、こういうことを言っております。新聞記者の取材を受けて「プロデューサーという仕事は非常にすばらしい仕事ですね。夢を実現するすばらしい仕事ですね」と小林一三は言われたらしいんですが、そのときに、このばか者と反論はされなかったようですけれども、プロデューサーの仕事というのは夢を実現するのが目標ではございません。夢というのはあくまでもゼロでございますから、ゼロを幾ら追い求めても1にはならない。ゼロはゼロのままなんです。夢のような企画だなというように、どんなにびっくりするような新機軸の企画を考えたプロデューサーがいたとしましても、その人の頭の中には0.1以上の、あるいは1以上のものがあったに違いない。そういうものが初めて独創性を持った企画として誕生するから、ああ、夢を実現したんだなというようなことになろうかと思います。それがプロデューサーの理想でございます。 私なんかはまだまだそこまで至るわけにはまいりませんけれども、例えばよくブロードウエーのミュージカルなんかで、こういうものがよくミュージカルになったなというよう
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